W. Eugene Smith, Aileen M. Smith

私たちが水俣に住んでまもないころ、ある日自分で私たちの家を訪ねた高校生と知りあいになったことがある。彼は写真に関心があり、ジャーナリスト志望で、ユージンと話をしたかったのだ。その後、彼は何回も来たので、私たちは彼に水俣病についての研究論文を読むのを手伝ってもらうことにした。知りあってまもなく彼は、内証で来なければならないこと、家に帰るのが遅くなる口実がつくれるときだけ来ることを打ちあけた。もし私たちに近づいたということが両親に知れたら、徹底的にしかられる。父親はチッソの社員で、「新」労働組合に入っていて、患者たちが、そして「水俣病のことはなんでも」気にくわなかった。 ある日私たちは、おしゃべりが長くなってしまい、遅くならないよう私は彼を町まで車で送った。私も高校生も心配になってきた。もし私といっしょにいるところをだれかに見られたら? 駅について、私は彼に跳びおりるように言った。彼は急いで跳びおり、私はあたりを見まわした。私たちの車を知っているものがいて、彼が跳びだすのを見られたのではないかと、いささか不安になりながら。しかし彼はもう車から離れていて、歩くうしろ姿は、ぶらぶら家路につく高校生たちと変るところがなかった。